Eccentric Person Come Back To Me
少し日にちが開いてしまった
直近の土日は行動的だった。
金曜日から行動的だった。友だちと夜ご飯、明けて土曜日は渋谷でウィンドーショッピング。そのまま歩いて恵比寿でアンダーグラウンドを観る。映画にあてられてひとりで居たくないと思い、明け方まで会話が行き交うバーで過ごす。
日曜日は少し仮眠を取り、川上未映子見たさに(なんてミーハー心!)昼はTAMA映画祭、夜は友人に誘われてひなぎくを。
大学生みたいなスケジュールだ。いや、私は飲み明かすような大学生ではなかったし、こんなに活動的なのは人生初めて。生き急ぐぐらいが丁度いいかもしれないと思って、最近はいつも以上に思い立ったらすぐ行動してる。悔いなきよう。という理由付けは半分建前。魅力的な人間になるのにおもしろさが欠けていると思ったからというのが大きいかも。
私は自分の選択に後悔してない、と対外的には言っているがどうなのだろう?嘘でもないけど、学生の時間にもっと学んでおけばと思っていて、それは後悔なのでは?と思った。私が選び取った選択肢を正解にするには、今現在の私が補強するしかないのだ。
面白い人が好きだ。面白い人って頭がいい。教養がある。
少し前に下記ツイートがおすすめに流れてきた。
Twitterでよく見る「人は10代で手に入れられなかったものに一生執着する説」って「いわゆる青春らしい表象に無縁の10代を過ごした者は一生青春コンプレックスを抱える」って意味だと思ってて、青春らしい表象に無縁の10代を過ごしたものの青春コンプレックス皆無の私はその説に否定的だったんだけど、
— 絶対に終電を逃さない女 (@YPFiGtH) 2023年10月29日
私が10代の頃一番欲しくて手に入らなかったものって「自分の言いたいことを誰かに聞いてもらう」ことだったんじゃないかと最近ふと思い、だから私はずっと文章を書いているのかもしれなくて、それなら一生執着する説もあながち間違いじゃない気がしてきた。
— 絶対に終電を逃さない女 (@YPFiGtH) 2023年10月29日
私は人間としていかに面白いかを気にして生きているなあと思っていて、コンプレックスなのかもと思った。面白いと言ってくれる人がいないわけではないけれど、多分自分が面白いと思った人間に君は面白い人間だっていわれないと満足できないと思う。話していて、この人の話聴くの楽しいな面白いなと思う人間、私が話しているときつまらないだろうと思ってしまうのだ。いつになったら脱却できるのか。永遠の課題。