水中翼船炎上中
水中翼船炎上中
なんて響きだろうと思った。
大人になってから曲の歌詞も聴くようになった私だが、
だからなのか、最近は言葉に興味が湧いている。
日本語を慈しむ椎名林檎が好きだ。
彼女の歌詞、たぶん理解できていないものの方が多いけれど、
日本に生まれたことを噛み締められる。日本語ってたおやかで好きだ。
大胡田なつきの言葉選びも好き。
日本の、自国の言葉を大切に思う彼女らの姿を見て、高校生の頃はたいそう憧れたものだ。
(今も好きであるが、あの思春期特有の視野が狭く一直線に熱意を込めて追う、少し宗教の信徒のようなあの感じ。視野が狭くて少し痛くて可愛らしいのが高校生である。)
潜在的に美しい日本語に憧れた私、言葉を選ぶ人間、知る人間に憧れた私である。
最近はそれがようやく表出化したというのだろうか、詩に興味を持ち始めたのである。
先月、劇団ロロのいつ高「本がまくらじゃ冬眠できない」をyoutubeで観た。
劇中、最果タヒの「天国と、とてつもない暇」が登場する。それがきっかけで初めて詩集を手に取った。
痛くて尖っていて、でも少し柔らかくて、そして燃えていて早くて、分からなくてちょっとだけわかる感じ。一緒にご飯を食べて、この人とどうにかなることは無いかも、とぼんやりショックを受けた後に読んで、明け方読みながら少し泣きたくなったこと。泣かなかったけど喉の奥が渇いて痛かったこと。本の記憶と紐づいてしまいそうだった。
少し落ち着いて、自分の時間が欲しくなり、あまり人との予定を入れていない今月。
ずっと気になっていた穂村弘を手に取ってみた。
いつも面白い話をするネット上の読書家たちが好きだという歌人。
どれにしようか迷ったけれど、「水中翼船炎上中」というタイトル。
どきどきして惹かれて図書館で借りた。ここでようやくタイトルに戻る。
幼少の記憶、季節、家族といった日常の風景を短歌に落とし込む。
こんなに短い言葉の中でタイムスリップできてしまうこと。わくわくして夢中になってよんだ。
夜ごとに語り続けた未来とは今と思えばふわふわとする
不可逆的な時間のなかを生きる私たち。
最近読んだ夏物語にも、確かにあった出来事で、それはこの体で体験したことというのが不思議な感じ、みたいな文面があった。(超意訳である。思い出そうとページをめくったのだが見つけられず。)
あとがきに
人間の心は時間を超える。けれど、現実の時は戻らない。目の前にはいつも触れることのできない今があるだけだ。・・・私の言葉はまっすぐな時の流れに抗おうとする。自分の中の永遠が壊れてしまった今も、水中で、陸上で、空中で、間違った夢が燃えつづけている。
とある。心は時間を超えられるから、言葉で抗えば心で過去にトリップできる。
写真や絵みたいに、短歌も宝箱になる。開いたら時空の香りを嗅げる宝箱。プルースト効果。
社会人になってもこうやって新しい感覚に触れられるとやっぱり嬉しい。
もっと言葉に触れたいと思った。
私にとっての水中翼船ってなんだろう。考えながら眠りにつこうかな。